関係が成り立たなかったことは、自分ひとりのせいじゃない。
でも、愛は一人で成り立つ。
それなら、
なぜ愛が湧いてこなくなったんだろう。
循環が止まってしまって、
受け取れるものがなくなった。
でも、それは関係の話であって、愛は一人でも成立するはずなのに。
だから、
「そもそもあれは愛だったのか?」
「好きだったのか?」
という疑問が生じる。
今の私には「好きだった瞬間」すらもう見えない。
好きと呼んでいた感情は、なんだったんだろう?
当時の感情を思い出せば出すほど、
今の私が思う「好き」とは全然違う認識だったことがわかる。
責任感や義務感というほうがしっくりくる。
「好き」と言えば聞こえはいいけど、
それが本当に「大切」とか「尊敬」とか「慈しみ」からの感情だったのかと聞かれると、
正直あまり自信がない。
一度引き受けたものを、
無責任にやっぱやーめた!って言えない感覚もあった。
もし本当に好きじゃなかったなら、
ここまで関わらなかったのかもしれない。
でもそれを理由に、
あの当時の感覚をそのまま「好きだった」と言い切るのも、
どこかしっくりこない。
だから「本当に好きだったのかな?」って考えたけど
その問い自体が途中で違う気がしてきた。
当時の人間関係の土台
振り返ってみると、
優先順位が自分<<<関係維持が当然っていう価値観だった。
家庭内での居心地の悪さを、
誰かに必要とされることで補うために養われていったもので、
それが当時の私が人間関係を築く上で、
土台としてあったんだと思う。
役割があることで居場所ができた関係
結婚前から、
彼の隣にいるなら引き受けなければいけない役割が始めからあって、
それなしでは関係が成り立たなかった。
計算外だったのは、
私はその役割を果たせばそれ以外の部分は自由度があると思ってたけど、
実際は役割には硬い型があって、
はみ出すところは削って、
足りないところは埋める必要が私にはあったってところ。
数年越しに発芽した違和感の種|税関での言葉の記憶
付き合ってる当時、
アメリカ仕入れの帰国時に、税関で捕まったことがあった。
私は彼に言われた通り、
荷物は自分と友人用のお土産と言って税関を通ったんだけど、
彼は怪しまれて別室行きになって、
同行者の私も共犯として呼び出されて、取り調べを受けた。
そのとき税関の人に、
「こういうことを彼女にやらせる人に、
本当に大切にされてるって思う?
君にはもっと大切にしてくれる人がいる。」
って言われた。
でも当時の私が違和感として拾っていたのは別のところで、
その後の彼の振る舞いだった。
でもあまりに当然のようにそれをするし、
友だちと飲んだりすると、その場は旦那への同情で盛り上がる。
だから、「そういうものなんだ。」って、スルーしちゃってた。
言葉の受け取りの遅延
あのとき言われた言葉は、
当時の私にはうまく扱えるものじゃなかったと思う。
でも、受け取ってはいたんだと思う。
その証拠に、
ことある事に取り出しては、見ないふりをしていたから。
その言葉は、
その場ですぐに意味を持つものではなかったけど、
私の中に残り続けていたものだった。
違和感の積み重ねや、
自分の中の変化が土壌や肥料になって、
種は時間をかけて、ようやく発芽したんだと思う。
苦しい愛しか知らなかった
旦那に「子どもたちを愛してないのか?」って聞かれたときも、
「愛が何か分からない」って答えてた。
当時の私は、愛ってどこか苦しいものだった。
苦しくない愛を知らなかったから。
旦那から「これが愛だ」と差し出されたものも、
私が思うそれではなかったから、
余計に何が愛か分からなくなってた。
愛が分からなくても、愛せると分かった日
その頃、観ていたカウンセラーYouTubeで質問募集してたから、送ったことがあった。
私は、愛という感覚が分かりません。
私の中にあるのは、ただ
「どんなあなたであっても
何を選んでも、
ずっと大好きで、大切で、応援してるよ」
という感情です。
愛ってなんですか?
って。
そしたら、その人がYouTubeで回答してくれて、
「その感情は紛うことなき愛だよ」って。
思ってるものと違うものを人から愛だよって差し出されて、
これは違っていたのかって思ったのかもしれないけど、
少なくともその感情は愛から来てるよって。
そのYouTubeを見たとき、
私はすごくホッとして、涙が溢れた。
それでいいんだよって言われたような気がして、
愛を知らなくても、
この感情で接することでいいんだって思えた。
現在の観測:自分を壊さないことは、前提条件
気持ちの根っこの部分は今でも変わらない。
「どんなあなたでも、
何を選んだとしても、
私があなたを大好きで大切で応援する気持ちは変わらない」
ただ、
それに応じられる私でいるためには、
私が壊れないことが必要だってことを、
今の私は知っただけ。
問いが崩れる
ここまで考えてみると、
好きだったのか、好きじゃなかったのか、
そのどっちかで答えられるような話じゃない気がしてくる。
好きという言葉でまとめようとすると、
どうしてもズレが出る。
もしかすると、
好きだったかどうかじゃなくて、
どんな形の好きだったのか、
あるいは、
何を好きと呼んでいたのか、
そういう見方の方が、少しだけ近いのかもしれない。
関係の「感じ方」の違い
役割を果たさなきゃ関係が続かないものと、
関係はひとりでは成り立たないっていうのは、
似てるようで、少し違う気がする。
同じように関係が続いていても、
どういう動機で続いているのかによって、
感じ方は全然違うんじゃないかな。
だから、今の私なら、
あの感情から生まれた関係を、「好き」や「愛」とは定義しないなって感じてる。



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