私が疑っていたのは、
- 自分の感覚
- 自分の選び方
ではなく、「このあり方は、この世界で通用するのか?」でした。
私が抱えてきたこのコンプレックスは、
乗り越えなければいけないものではなく、
必要だったのは、
「では、このあり方で生きる私は、どんな役割を担うのか?」
と、見えにくい自分の役割を改めて自覚すること。
これは自己否定ではなく、現実検証。
揺れながら役割を果たし、揺れながら選び続けることが、私なりの軸だったと気付いたのなら、
次はそれをさらに具体的なイメージとして、意識し、使いこなしていきたい。
「突出がない」ことは欠如ではなく、分散設計
一芸がない=「才能がない」というわけではありません。
心理学・キャリア論の文脈で言えば、これは完全にスペシャリスト幻想の副作用です。
社会が好むのは、
- 早く見つける
- 一点突破
- それを磨き続ける
という、分かりやすく評価しやすいストーリー。
一方で私は、さまざまな経歴や主婦・母親として過ごす時間のなかで、
- 環境適応
- 状況判断
- 役割変更
- 文脈理解
を、何度も繰り返してきました。
これはメタスキルです。
自分を含めた状況を客観視し、
何が問題で、どうすればスムーズに進むか、
どこは調整可能か、
その場で自分が担うべき役割は何か?
それらを見極め、動く力。
ただ、これは成果として切り出しにくく、周囲からも、そして自分自身からも評価されにくい。
誰かがやらなければ滞るのに、流れがきれいなときほど、それは「当たり前」のように扱われてしまいます。
目に見えにくいだけで、難易度は一芸より高い。
経歴がバラバラ=軸がない、ではない
私の変遷を並べると
- 表現(話す・書く・見せる)
- 人の話を聞く
- 状況を読む
- システムや構造を理解する
- 複数立場の調整
一見すると違うけれど、やっていることはずっと同じ。
人と状況のあいだを読み取り、翻訳し、整える。
職種が変わっても、担ってきた役割は一貫しています。
このコンプレックスは、今は「資源」になっている
重要なのはここです。
- 一芸がない
- 突出がない
- 経歴が一本じゃない
だからこそ、
- 正解を押しつけない
- 相手の受け取りやすい形を考えて言葉を投げる
- 「これが正しい」と断定しない
- 思考プロセスそのものを提示できる
これは、私が理想とするブログのスタイルとも、完全に一致しています。
「軸が細い」のではなく、「形が違う」
私の軸は、棒でも、柱でもありません。
網目型、あるいは重心移動型。
一点で支えないから、折れにくい。
揺れるけれど、崩れない。
- 一芸がないことは欠点じゃない
- むしろ「一芸信仰」が合わなかった
- 川の軸は、編集・翻訳・調整をする人
私には「川の軸」という表現が合っていたけれど、
人それぞれ、ピンとくるイメージは違っていいと思います。
固くても、やわらかくても、ひとつの変わらない土台でも、可塑的でも。
「自分はこうありたい」を自分の内側で持ち続けていられるのであれば、それはどんなかたちであってもいい。
成長し、変化し続けながら、川はすべてにつながっていく。
私の人生は、きっとこっち。




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